冲方丁『マルドゥック・ヴェロシティ』

スクランブル』のほうを改訂版で読んでいるせいか、非常に癖のある文体にまずびびる。ボイルドの冷静な思考の表現として、そしてサスペンスアクションを描写する手段としては好みの幅はあるだろうけど、俺に対しては十分機能していた。
スクランブルを一通り読んだ後に読むとボイルドの悲劇が胸を打つ。さすがに後付けだよなーと思うような設定も散見されるけども、それでもボイルドとウフコックのすれ違いを描くにはまったく問題はないレベルだと思う。1、2巻辺りが「サイボーグ009」的な様々な能力を持った改造集団のバトルを中心に仲間とのアツい話が展開していただけに3巻からはもう進めれば進めるほど悲しい。そういえば劇中の「スクランブル09法案」ってのはやっぱり「009」が元ネタだろうな、と今書いてて思いついた。仲間も全部で9人だし・・・・・コンセプトはたぶんそうだな。
最終巻の後半からのすべての謎が解ける展開はまったく想定外。「何人もの人間がまったく同じ意識を共有している」っていうのはおもしろい。『攻殻』の「SAC」と同じようなもんか?『lain』の「私は偏在する」っていうのも意味合いは違うけど、似た問題を扱ってるのは確かでしょう。
精神の肉体からの分離だとか、人と人が深く深層意識レベルで繋がることだとか、近未来だとか人間の進化を突き詰めていくと結局そのあたりに落ち着くんだろうか。